「鎧を脱ぐ」とは、甲冑(かっちゅう)を脱ぐというような言葉通りのことでは当然ありません。
この場合の鎧とは何を意味しているかというと、私たちは、この世に生まれ出たのち、年を重ねるごとにさまざまな経験を積み、多くのことを学んでいきます。そうして個々に人格(個性)が形成されていくわけですが、この形成されたものを鎧と表現しています。
そう考えると、生きていくのに必要な最低限の鎧だけでなく、いろいろな鎧を着ることになりそうですよね。
乳児期、幼少期から学童期などを経ていずれは社会に出ていきますが、そのとき私たちの鎧はどうなっているのでしょう…。おそらく継ぎはぎだらけの、ものすごく重い鎧になっているはずです。
いつの間にか鎧が巨大化している
若い頃は知っていること(既知)がまだまだ少ないですが、成長し既知が増えてくると、ある程度先が見えるようになってきます。そうなると物事に対して身構えたり、飛び込むことにためらいが生じるようになります。
具体的にいうと、「偉い役職の人や大きい会社の人に対しては、こう話さないと嫌われてしまって仕事にならないかも…」といった考えが先に頭に浮かんでしまい、カチカチになって身動きが取れなくなるということです。自由度がどんどん失われていく感じでしょうか。
このように、ふと気付いたときには、すでに鎧が巨大かつ重くなりすぎて機動力を奪ってしまっているわけです。そして、一旦鎧が巨大になってしまうと脱ぐのは当然難しくなってしまいます。
「好きでもない」仕事を続けると無理が生じる
ハーフパンツにアロハシャツ、Tシャツも着るしキャップもかぶる。金髪頭にひげも生やしている…今でこそ僕はこのような自分の好きなスタイルで自由に仕事をしていますが、当然これまでは違っていました。
今まで僕はIT関連の仕事ばかりをやっていましたが、ITの世界では当たり前となっている戦略的なものがあり、そこにフィットさせようとがむしゃらに頑張ってきました。
それはそれで当然重要なのですが、その分野には頭のいい人がものすごく多くて、僕自身が好きでもないところをいくら勉強しても、その人たちに勝つのはやはり難しいということにあるとき気付きました。もし好きな仕事であれば違ったのかもしれませんが、それが「好きでもない」仕事だったから、いつしか自分のアイデンティティを見失って、どこかで無理が生じたのだと思います。
スーツだからといってパフォーマンスは上がらない
結婚式や葬式にアロハシャツで参列するのは少し違う気がしますが、普段の生活や仕事ではスタイルにこだわる必要はないと思っています。スーツだからといって仕事のパフォーマンスは上がりません。
ネクタイを締めるとパリッとした気持ちになるというのはあるかもしれませんが、リラックスできない分パフォーマンスは逆に落ちるのかもしれません。今はコロナウイルスの影響によって在宅ワークが進んでいるので、思いがけず脱スーツ生活を送られている方も多いかもしれませんね。毎日スーツで出勤していた頃と比べてパフォーマンスに違いがあるのか、比較できる良い機会です。あなたの場合はどうでしょうか。
鎧を脱いだ方がうまくいく
企業に属しているからという理由だけで、パーマがかけられない、ピアスが開けられないというルールに僕は違和感を覚えます。僕自身がそういうことを自由にできる環境にいるからかもしれないのですが、誰が相手でも発言できる、思っていることをシンプルに伝えられる、そんな環境が一番いいのではないかなと思っています。企業であれば、相手の年次や役職によって権威勾配が働くのは自然なことです。しかし、だからといって自分の考えを口に出さず相手に合わせることは、本来の自分をどんどん見失う原因にもなりますし、仕事でも良い結果を生み出せるとは思えません。
裸の付き合いという言葉がありますが、鎧を脱いで、飾らない素の自分を出していくほうが結局うまくいくということですね。
素の自分をさらけ出す
年を重ねるにつれ、私たちはさまざまな経験を積み、それとともに人格(個性)が形成されます。それはいわば素の人間が経験によって形成された鎧をまとった姿といえるかもしれません。この社会で生きていくには最低限の鎧は必要でしょう。しかし、それがあまりに巨大化しすぎるとかえって邪魔になるのも事実です。自分が心地よいと思う感覚を大切にして、自然体でいられる自分を大切にしましょう。正解なんて無いのですから、誰かと比較する必要もありません。
なぜか物事がうまくいかないとき、そんな場合は思い切って鎧を脱ぎ、素の自分をさらけ出すことを考えてみてはいかがでしょうか。
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